てんねん

ラブライブ!サンシャイン!!についてブログを書く人です

HPTツアー全6公演を終えての感想&「夏の終わりの雨音が」の考察

初めまして、にこぶれと申します。

まず、改めてですが

🚂 Aqours HAPPY PARTY TRAIN ツアー💨

参加された方々本当にお疲れ様でした。

 

私は「アメーバブログさん」の方で、ライブ感想やキャラ考察などを中心に上げている者で、HPTツアーが終わり2ヶ月経ち今更すぎますが、ツアーラストであった埼玉公演を中心に、全6公演を現地で参加してみて、気づいた事や考えた事&楽曲についての私なりの考察を、こちらの「はてなブログさん」の方で上げることを決意しました。

理由としては、かなり内容が長くなってしまい向こうでは、少し荷が重いと考え急遽こちらの方で、ブログ更新することにしました。

語彙力ない不束者ですが、最後まで読んで頂けるなら幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

 

今回の埼玉公演ですが、HPTツアーとして名古屋・神戸Aqoursは周って来て、先ほども言いましたように「ツアーラスト」となった場所でした。そして、その最終座標として選ばれた会場がメットライフドームでした。

ライブが始まる直前に流れたアニメーションでも、千歌たちAqoursを乗せたSLが名古屋→ 神戸と通り過ぎていく様子が今回から追加され、

神戸公演から1ヶ月ちょっとブランクがあったツアー心境も、あのアニメーションを見て完全に心が帰ってきたのも確かでした。

また、Aqoursにとって今回選ばれたメットライフドームという会場は、 単独ライブ史上最も大きなライブ会場でやる事となりました。

※キャパ数33.556席

 

少し話がズレてしまいますが、神戸公演が終わってから1週間もしない内に、毎年開催されているアニメのフェスライブことアニサマ」に、Aqours初出演しました。

このアニサマは、毎年SSAで行われていますが、当時のAqoursにとっては、一番大きな会場でのパフォーマンスとなりました。

※キャパ数37.000席

 

ここで、何が言いたいかというと

この1ヶ月ちょっとの期間でAqoursは、

自分達も出演した「フェスライブ」と匹敵する大きさのライブ会場で、「自身の単独ライブ」をしたという事実が今回あったのです。

そのことを踏まえ、埼玉公演1日目最初のMCで高槻さんが『ブランクがあったから緊張する』と言っていましたが、会場の広さ故の緊張も見え隠れしていました。

 

今回の埼玉公演の見所は、

名古屋神戸公演と比較した時にはっきりわかる「セトリ変更」だったと感じます。

その部分が特に見えた所は、やはり「デュオトリオ」だと、感じられます。

元々、私含めみなさん頭の片隅で

埼玉公演で、デュオトリオが初披露となるだろう』と、何となく予想が経った中でのライブ参加だったと思います。実際、1日目に歌われ「初披露」となりましたが、我々の予想を遥か上を行く演出やパフォーマンスに圧倒され、曲が終えた時に自然と拍手や賞賛の声が会場に鳴り響きました。

 

この拍手や歓声は、今回のツアー最初の地であった名古屋公演1日目で""初披露""となりました「G線上のシンデレラ」「Day Dream Warrior」→「スリリング・ワンウィイ」の流れ、そして各ユニットターンの時も、起きていたことです。

私が思う「ライブでのAqours魅力は、

予想も出来なかった「衝撃」「感動」を味あわせてくれることだと、強く思っています。

なので、今回の埼玉公演で一番そう感じさせられた部分は「デュオトリオ」だったと思います。

 

そんな、デュオトリオの時間。

私が特に、パフォーマンス&演出で

度肝を抜かされた

""ある楽曲""が存在する。

 

その楽曲は、

千歌&果南トワイライトタイガーが歌う

「夏の終わりの雨音が」です。

 

いや、本当に化け物だったと……!!

 

なぜ、私がここまでライブ中に驚かされたのか

を、最初のテーマとして説明していく上で、大変おこがましいのですが…

この楽曲に対する、考察話を聞いて頂ければ、私がライブで感じた「驚き」を少しでも理解してもらえると思いますので、どうかこの場をお借りして語らせてください。

それでは、改めてよろしくお願いしますm(__)m

 

 そもそもデュオトリオ楽曲は、

その名前の通りAqours9人がユニットではなく3.2.2.2に分かれ、計4ぺアで組んだ新たな挑戦でありながらも、 統一性のテーマとして

「夏」をテーマとした楽曲達となっています。

このデュオトリオは、各ペアごとに「夏」に対しての捉え方が各ペアごとに異なっており、それを「個性」としているのが全体としての特徴です。

 

 それを踏まえ、改めてですが

 千歌&果南のペアトワイライトタイガーが歌う「夏の終わりの雨音が」

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一見、歌詞の意味合いからバラード曲だと認識するも、「EDM」を使用しアップテンポの要素が強く出ており、サビに近づくにつれ段々とリズムを刻み、サビで溜め込んでいたパワーを一気に放出する感覚があります。

さらに、Aメロ、Bメロ、サビとほとんどの所で一定のリズムを刻む部分は、J-POPなのに少し洋楽にも聞こえ、錯覚してしまいます。

そして、この楽曲の一番の特徴と言えば

今まででのAqours楽曲では、明確に見せてこなかった「台詞パート」が存在する所です。

また、DJキットを全開に使い、癖のある機会音が中毒性を生んでいることも魅力的だと、思います。

 

さて、この楽曲ですが

千歌果南のすれ違い」を中心に描かれた物語だと、捉えています。

 その理由を、この楽曲の歌詞を追いながら、私なりの解釈と共に考察していきたいと思います。

 

 1.  まず、始めの果南台詞

何かが始まるってことは 終わりにつながるなんて 考えてもみなかった いや 考えたくなかったんだ・・・』

 果南が、『始まりは、終わりに繋がっていることだ!』と、「""冒頭""'から主張している様子」から、この物語は開幕します。

 

2.  次に、1番Aメロの歌詞を見ていきます。

果南

「いつだって あなたは身近だった わざわざ

気持ちを確かめるってことも 必要じゃなくて」

千歌

「自然に仲良くなれたから 安心していたのか

もしれないね どうして 波に問いけるけど」

 

まず、果南パートに出てくる「身近なあなた」とは、千歌のことを指しており、

一方の、パートに出てくる「自然に仲良くなれた」その相手も、果南のこと指しています。

ここでは、""お互いがお互いを意識している""

描写が伺えると同時に、この意識は、幼馴染という2人の関係性から言えることだと、感じられます。

 

さらに、果南千歌に対して

『いつも近くにいる存在(幼馴染)だから、気持ちを確かめる必要はない』と、断言しています。

また、千歌の方も果南の「この意見」に対して、同意しているように伺えます。

ですが、その後千歌は、

『そんな果南との関係(幼馴染)に、安心していた(甘えていた)のかもしれない』と、自分の意見を言っています。

そして、千歌の「この発言」から2人の間に…

何か起こったことが伺えます。

 

その何かとは、

 アニメ1期第9話「未熟DREAMER」までの

 2人の「関係性」を意味しています。

一旦ここで、9話の内容を思い出してもらいたいです。

 千歌は、朝練中にたまたま果南と出会い、思い切って『本当にスクールアイドルをしてたのか?』本人に問いかけます。

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なぜなら、

前回の8話で、東京から帰ってきた際にダイヤから、「過去」に3人でスクールアイドルをしていたことを、その場で初めて聞いたからです。

その問いに対して果南は、「千歌に、ダイヤ鞠莉自分達の過去を話したんだ」と察し、『そうだ』と、仕方なく答える形となりました。

だが、千歌は新たな疑問を抱きます。

松浦果南という人間は、前向きであり物事を簡単に諦めたりしない人間だと。」

 

幼少の頃からいつも一緒にいた千歌だがらこそ、彼女の性格を知り尽くしており、途中で「スクールアイドル活動を辞めてしまった」ことが、不思議で仕方なかったことだと思います。

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そして、千歌がもう一つ疑問を抱いこと。

『なぜ、「スクールアイドル」をしていたことを今まで自分に、教えてくれなかったのか?』

 

その理由は、

1度辞めた「スクールアイドル活動」に対して、 果南は、ずっと「未練」があり、千歌に""今""伝えてしまうと、学校の「理事長」として千歌にも接点のある鞠莉に、自分の「想い」が、気づかれしまう可能性があることへ恐れがあり隠していました。

 

さらに、朝練後の千歌はというと 、

果南ちゃん、どうしてスクールアイドルを辞めちゃったんだろう』と、Aqoursのみんなに相談していました。

このことから千歌は、果南がスクールアイドルを辞めた「理由 にも当然ですが、気付けていません。 

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そう、千歌「波」『どうして』

と、問いかけたこととは…

""果南スクールアイドルを辞めた理由""

だったのです。

 

 3. 次に、1.2番のBメロの歌詞を見ていきます。

1番歌詞

果南「夏が終わるとき 消えちゃうものだったなんて 知らなくて」

千歌「ときめいていた 暑い季節」

2番歌詞

千歌「夏が終わるとき 消えちゃうものだったなんて 切ないね」

果南「誰もいない ひとりぼっち」

 

ここでは、まず

1番「ときめいてた暑い季節」

2番「誰もいない ひとりぼっち」

と、2つの歌詞を見比べた時に「夏」への捉え方が、かなり変化していることがわかります。

 

この変化こそ、

果南の、過去比較した時の

「心境」「状況」の変化を、現しているのだと考えています。

 そのことを踏まえて、もう一度歌詞を見ながら説明していきます。

 

・「ときめいてた 暑い季節」

果南が、鞠莉.ダイヤ達と、元Aqoursとして

3人で一緒「スクールアイドル活動」を、している「状況」を指しており、「楽しんでいる様子」が、伺えます。

つまり、「ときめいてた 暑い季節」とは

松浦果南

「青春時代」を、現しています。

 

・「誰もいない ひとりぼっち」

一方、2番では1番とは打って変わり、果南から、孤独といった「寂し様子」が歌詞から読み取れます。

この孤独こそ、「スクールアイドル活動」を辞めることとなり、3人がバラバラになってしまった果南の「状況」を指しており、それが寂しさの理由です。

 この事から、1番とは対比した松浦果南

「青春の終わり」を、現しています。

 

つまり、この二つの解釈から歌詞に出てくる

夏が終わる時 消えちゃうもの」

                           ↓

「3人でのスクールアイドル活動」を指していることが、わかります。

 

さらに、

1番歌詞に出てくる「知らなくて」とは

当時(過去)自分からは、

3人でスクールアイドル活動をする時間が、未来では、無くなっているとは、想像もつかなかった』と、現在(今)果南が振り返っている描写だと捉えています。

それだけこの事案は、彼女にとって予期せぬ出来事だったと、考えられます。

 

また、

2番歌詞に出てくる「切ないね」とは、

 現在(今)果南が、

3人でスクールアイドル活動をする時間は、もう戻ってこない時間なんだ』と、嘆いている描写である同時に、孤独身動きが取れず、悲しんでいる姿も伺えます。

 

4.次に、共通ワードとしてサビに出てくる 

「思い出なんていらないの こころが苦しくなるだけだと」と、""冒頭""でありました「果実台詞」 を見ていきます。

 

この二つは、""対の関係性""でいる存在だと認識しています。

先ほどまで、果南過去について触れてきましたが、そこで彼女得た「モノ

すなわち、果南

「スクールアイドル」を辞めた経験

から、この2つの意見彼女の中で生まれ発言として残したのです。

 

5.次に、Cパート前の「台詞」について見ていきます。

 果南「わかっている、二度とない夏だってこと次に来る夏は 違う夏なんだ」

千歌「日焼けの跡が薄れる頃には きっとね、大丈夫 !でも 今はまだ 背中もこころも ひりひりしているみたいだよ」

 

まず、ここでの2人のやり取りですが

9話未熟DREAMERでは、

""描写""として触れられなかった

果南Aqoursに入部した」直後に、2人の間で行われた""裏エピソード""のような部分

ではないか?と、考えています。

 

まず、 果南の台詞「二度とない夏」とは、

「3人でスクールアイドル」をしていた時間

を、指しています (過去形)

  もう一方の「次に来る夏」とは、新たに

「千歌達とスクールアイドル」をする時間

を指しています(現在形)

さらに、果実は、「次に来る夏」⇒「違う夏」

変換して捉えています。

 

なぜ、果南「違う夏」変換したかと言うと

自分が「スクールアイドル」を再度始めることへ 不安""まだ""存在していたからであり、

鞠莉.ダイヤと3人で一緒に「スクールアイドル」をしていた頃(過去) に浸り

それで""満足"""しようとしていたからです。

 

つまり、 自分「気持ち」に、素直なれず

 無理やり、現実逃避をしている発言だと考えています。

 

そこで、千歌の台詞に触れる前にもう一度、

9話の内容を思い出してもらいたいです。

ダイヤから、

『怪我をきっかけとして、鞠莉には将来(留学)を大事にして欲しい」という果南の想いから「元祖Aqoursが解散した」真実を、知ります。

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そう、あの場は、

 千歌が、波に問いかけるほど知りたかった

果南がスクールアイドルを辞めた理由」を、

知ることが出来た場でもあったのです。

 

そのことを踏まえ、話を戻しますと

の台詞「日焼けの跡が薄れる頃には」とは

果南過去のスクールアイドル活動で、

大切な人を傷つけてしまった罪悪感」

を、知った千歌Aqoursの""リーダー""としてではなく""幼馴染""として寄り添った部分であり、そんな果南を励ますために「大丈夫」と声を掛けたのだと、考えています。

 

 そして、千歌がもう一つ疑問に思っていた

『なぜ果南は、自分にスクールアイドルを教えてくれなかったのか?』

という問いに対しても、

教え(伝え)たかった事だったが鞠莉との関係で、教え(伝え)られなかった事だった 」と、

ダイヤから果南本音を聞いた際に、千歌 は、頭の中で自然と解釈したんだと考えています。

※また、劇中でも千歌「この事」について、

最後まで果南に、問いかけなかった理由にも結びつくことだと、考えています。

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さらに、その後の千歌の台詞で

「背中も心もひりひりしているみたいだよ」

とは、先ほど説明しました

彼女経験」したことにより、""心の面"'でのキズを、少しでも自分理解してあげようとしている描写だと、捉えています。

 

6.そして、最後の台詞であります

果南「この雨が止む頃 私の涙も乾くなってことにしておくよ。さあ、上を向いて 明日のことを考えようか!」

千歌「楽しかったね、夏…」

 

この果南の台詞に出てくる「この雨」とは、

その後の台詞ででくる

「私の涙も乾くなってことにしておくよ」

と、サビの歌詞に出てくる

「大粒の雨 私のなかの涙みたい」

と、存在するように、

自身の「涙」を現しいることは、皆さんお分かりいただいてると思います。

 

そして、果南「止む頃」言っているように

雨(涙)止む(乾く)ことを前提として話を進めており、その後の台詞で

「上を向いて、明日のことを考えようか!」

と言っており、前向き未来と向き合おうとする彼女の姿勢が見える部分です。

 

彼女を、こうも変えさせた(素直にさせた)のは、千歌であると同時に、幼馴染という""概念""だけではなく

『困っている友人に手を差し出す』という

劇中で、他のAqoursメンバーに対しても見せた千歌が元々持っている優しさが働き、

彼女不安がっていた「心境」を、自信へ変え、「状況」を打破させたと考えています。

 

つまり、高海千歌という人物は

 彼女「雨」ピリオドを打ち、

「スクールアイドル」再スタートさせる

""動機""を与えた人物なのです。

 

そのことを踏まえて、

千歌の台詞「楽しかったね、夏…」とは

果南過去を、乗り越えた描写だと捉えています。

 

結論として、この楽曲は

幼馴染としては、理解し合えた二人でしたが

「スクールアイドル」としてお互いを見たとき

理解し合えていなかったことを書いた、楽曲に仕上がっているのです。

 

そして、この曲の歌詞には

1番「No more! September Rain」

「もう(二度と)ない! 9月の雨」

2番「But now… September Rain」

「でも今は… 9月の雨」

と、「9月の雨」に対して2つの捉え方が存在します。

この2つの雨は、

果南「悔し涙」と「嬉し涙」を表現しているのではないかと、考えています。

1番「No more!」が指す「もう二度とない」とは、3人でのスクールアイドル活動と、ラブライブ!出場 という目標が同時に消えたことに対して、

 過去松浦果南が流した 9月の雨

と、捉えているのです。

 

2番「But now…」が指す「でも今」とは、

先ほども説明しましたが、高海千歌という人物がいたからこそ、果南はまた3人で一緒にスクールアイドル活動をすることが出来る同時に、ラブライブ!出場という目標にも挑戦出来る喜びに対して、

現在松浦果南が流したを「9月の雨

と、捉えているのです。

 

また、夏曲なのに9月」というワードが出てくる理由としては、果南未来」も表現したかったのではいかと?捉えています。

 

 説明がかなり長くなってしまいましたが、

ここまでが、私なりの「夏の終わりの雨音が」についての考察話でした。

 

改めて、ライブ感想へと話を戻しますと

まず、ステージから 伊波さん諏訪さん出てきた際、お二人が「違うステージ」から登場し曲が始まりました。

先ほど、この楽曲は2人の「すれ違い」を現した物語だと説明しましたが、「違うステージ」から出てきたこの「演出」と、我々客の視線を食い付けにさせたランニングマン→ハウスというパフォーマンス」により、

 

『まるで、自分があの2人のいる世界観(物語)に入ったような』感覚がありました。

 

さらに、1番サビが終わり、2番Aメロが始まるまでの区間諏訪さんが、伊波さんがいるメインステージへ走って向かっている姿が伺えました。

一方の、伊波さんは、ランニングマン→ハウスという動きを1人で黙々とこなしている姿から

「同じステージに立ったというのに、独立した動き」が見え、「すれ違い」ながらも

""少しずつお互いの距離近くなっていく""

様子が、感じられました。

 

さらに、Cパートでお互いの背中を合わせながら歌っている姿からは、

「お互いが、スクールアイドルとして理解し合えて歌っている様子が、見えました。

 

そして、最後の台詞パートを言う前に伊波さん諏訪さんに抱きつく演出は、

「一緒に過去を乗り越え、幼馴染としての関係性を持った千歌果南が、見えた所であり、元に、スクールアイドル活動をリスタートを誓ったような光景を目の当たりにした、感覚がありました。

 

 以上が、ライブ中この楽曲で私が「驚かされた」部分の説明でした。

 

 そして、 今回のツアーで、私が特に「心に残ったこと」が名古屋・神戸・埼玉公演と、それぞれ1つずつ存在します。

 

名古屋1日目、伊波杏樹さんが最後のMCで仰っていた

ラブライブ!サンシャイン!!大好きなんでしょ?みんなAqoursのこと大好きなんでしょ?これって本当に凄いことなんだよ。』です。

これを聞いた時、私は自然と涙が溢れました。

当時、横浜アリーナで行われたAqours1stライブのMCで伊波さんもっと沢山の人にAqoursを知ってもらいたいと、自身の欲を語られていました。

それを踏まえ、今回の伊波さんのMCは

「今」目の前にいるファンの人達を優先することは「未来」に繋がることだと

信じていているからこその発言だっと、聞いてる時に感じました。

 

・続いて、神戸1日目 「君のこころは輝いているかい?」です。この曲は、沢山披露されてきましたが今まで一番良い、君ここだったと感じています。

そう感じさせたのも、Cメロの千歌(伊波さん)梨子(逢田さん)2人で歌うハモりの部分です。

私は、君ここがライブで披露される度に毎回

この部分を注目して聞いてる身なのですが、

神戸公演のこの部分は、2人の歌声が綺麗に重なっていたと素直に思いました。

また、その2人の歌声にも「優しさ」がありながらも「力強さ」がちゃんあり、とても印象に残っています。

 

・そして、埼玉公演2日目で最後のMCが終わった後に見せた、全力疾走で花道をかけてた伊波さんの姿です。

いや、本当に嬉しかったのだ。。。

私個人の発言なのですが、

伊波さんにはMCでの発言や言葉だけでなく、行動の部分でも「リーダーとしての逸材」

もっと見てみたいと、私の中で一つの願望として、HPTツアーに参加した身でした。

そう私が思った理由は、

1stライブで、斎藤さんが見せてくれた行動 同じであり、私はみんなを先導するかのように道しるべを作っていたあの姿を見て、密かに

Aqoursのリーダーである高海千歌伊波杏樹さんが、やる日をいつか見てみたい…!!」

と、無事2日間のライブが終わった時に思ったからです。同時に、斎藤朱夏さんの凄さを感じた部分でもありました。

改めてですが、あの姿は私が見たかった姿であると同時に、HPTツアーを振り返った時に、心残りのない最高の笑顔」を見れた瞬間、でもありました。

また、その前の最後のMCで次の3rdライブで

『びっくりさせてやる』と、自身のさらなる欲を仰っていましたが、それだけに今回のツアーに手応えを感じていた様子が伺えました。

 

「最後に」

 今回のHPTツアーは、Aqoursにとって、そしてラブライブ!というコンテンツ史上、初となるツアーライブでもありました。

私が、全6公演を現地参加してみてまず、感じたことが

『 Aqoursというグループの成長が明確に見えた』ことです。

今回のツアーライブは、1stライブが終わってから約6ヶ月しか経っていない中での開催であり、披露された曲も8割が新曲のオンパレードでした。その中で、さらにクオリティーの高いライブパフォーマンスからAqours全体的としての、成長が見えたことは事実でした。

さらに、BD楽曲「スリリング・ワンウェイ」と2nd恋アクc/w曲「届かない星だとしても」で、我々客を「煽る」姿が伺え、

ライブを楽しくさせることへ直結させる動き

が見えたことも、1stライブの頃と比べ、視野が広くなったようにも感じられた部分が見えました。

また、今挙げたことは勿論「個人」のレベルアップがあるからこそ言えることで、それだけ客席から見ていて「安心」して、彼女達見ることが出来ました。

 

そして、

今回のHPTツアーの意味とは何だったのか?と、問われた時にAqours我々に感謝を伝えていくツアーライブだった」と、私は答えます。

そう私が思ったのも、名古屋・神戸2日目のアンコールの際に流れたアニメーションで、

Aqoursを乗せたSLの燃料が無くなり、次の会場へ向えなくなってしまいますが、ライブ会場&全国のLV会場にいる我々に感謝を返すことで、その燃料が復活する」という、描写があったからです。

さらに、このアニメーションを見た時、

今回のツアータイトルにもなっている3rdS曲「HAPPY PARTY TRAIN」の歌詞に出てくる「想いを乗せて」のフレーズが頭に浮かびました。

この歌詞に出てくる「想い」とは、

Aqoursの歌を聞いて、そのパフォーマンスを見て感じた我々の熱量」達が、 次の公演を回って行くAqours「原動力」となり、バトンのように引き継がれ行く感覚が公演を重ねる度に、感じられました。

 

今回のツアーライブを振り返った時に

「楽しかった!」と一言で表したくありませんが、一番似合う言葉だと感じてしまいます。

また、ラブライブ!というコンテンツは

「みんなで叶える物語」という大切なキャッチコピーが存在しますが、Aqoursは、ライブ中に見せる高いパフォーマンスが、「一体感」を呼び、それが直接的にこの命題に関わっているのでは?と私は、考え始めています。次の3rdツアーでは、そのことに対しても少しずつ理解を深めていけたらと思っています。

 

以上が、今回のブログで私が述べたかったことでした。このブログでの私の発言達は、あくまで個人の発言ですが、共感できた部分や納得ができた部分がありましたら嬉しい限りです。

最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。

また、機会がありましたらよろしくお願いしますm(__)m